次の世代に伝えるものになるか否かのものに関わるかもしれない

こんにちは。所長です。

 

すごく曖昧な言い方になりますが、

次世代に伝えたい思いが

あるという事で

それを残して、

伝えるプロジェクトを

立ち上げたいから

手伝ってほしいと

依頼をうけました。

 

これに対して、

スマイル中山として携わるのか

個人として携わるのか

あるいは関わらないのか

まだ決めかねています。

 

というのも、

どうしても、

未来の話をするためには

現在に至る過去について

触れなければなりません。

 

僕が思うに、

過去に受けた仕打ちや

医療、福祉従事者に対して

恨みつらみ復讐心、

告発、暴露したい

という気持ちがあるなら

僕は関わらないでおこうと思います。

 

というのも、

安全圏から他人を断罪し、

石を投げる行為は

僕が嫌いだからです。

 

さらに、

非難されるような事を

してしまった人にも、

その人にしか見えていない景色、

そこに至るまでの経緯や

過去というのがあり、

特定の行為の1点のみを抽出して

非難するというのは

あまりにも理性的ではない。

 

しかしながら、

そのことについて触れなければ

未来の話が出来ないのであれば、

条件として、

その頃の話を

お互いが席について

話す場を設けるという事を

提示したいと思っています。

 

あの時どんな気持ちだったのか、

どうすべきだったのか、

なぜできなかったのか。

 

それをお互いが話せるなら

話した方がいいと思っています。

 

そのうえで、

どのような形であれ、

世に出していきたいという事を

認めてもらわなければならない

 

そのように思っています。

 

なので、

告発したいとか

復讐したいとか

そういう気持ちがあるなら

僕はお断りで、

必ず事前に話し合いの場を設け、

相互理解に努め、

完成したらそれを見てもらう。

認めてもらう。

 

それが絶対条件。

 

繰り返しますが、

安全圏から石を投げるだけなら

後世に残す価値を感じない。

 

過去の非難されるべき行為が

あった事実は確かにあって

それが公になることは

重要ではあると思うが、

その一つの例を増やすだけなら

意味を感じない。

 

SNSには

毎日毎日、

いくらでも投稿されている。

 

その一つが増えることに

意味を感じない。

 

また、

それは双方が認めた内容や

前向きな議論ありきで

進めるべきことで、

一方的に一瞬を切り取って

断罪するのはやはり嫌いだ。

 

後世に残したいという

考えがあるなら、

きちんとした物を作るべきで

その為のセットアップは必要だと

そういう風に思っています。

 

という感じです。

 

スマイル中山として

携わるとすれば、

パソコンやプリンター、

冷暖房機器やWi-Fiなど

インフラは準備できるので

それを利用する為に

利用登録はしてもらおうと思っています。

 

大前提として、

利用登録ができないなら

当然利用はできないので、

個人として携わることになります。

 

そうなると、

僕の就業時間や

スマイルで得た情報やインフラ、

そもそもパソコンも使えないので

かなり不便にはなるかなと。

 

そうなると、

そもそも僕が携わるに

至る意味を見極めなければならないので

なかなか難しい話になりそう。

 

すぐに動いて

作れる話ではないので

あとから揉めないように

しっかり話し合っておこうと

思っています。

 

再来週なので

ずいぶん先ではありますが…。

 

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コメント: 1
  • #1

    新井美保子 (水曜日, 23 10月 2024 06:48)

    今回のブログに少し関係があるかもしれないドキュメンタリーを観ました。
    所謂、障害者虐待に関する内容です。
    内容はさておき、私が思ったのは、やはり話を聞くのは、虐待を受けた側だけで、虐待を与えた側では、まあ本人は亡くなっているし、奥さんや周りの人の話も切り取りされて放映してます。
    こういうドキュメンタリーは沢山あります。
    やはり、言えるのは一方的なんですね。
    そこには製作者側の作為も感じます。
    これでは、ただ恨み辛みを流しているだけ。
    この先にどうすべきかはしません。
    だから何本、同じようなドキュメンタリーを作っても
    変わらないんです。
    世の中に問題提起をした意義はあると思うし、やる事に意味はあります。でも、もう、そろそろ次のステップに進むべきです。
    これからも障害者はいます。
    私たち世代が亡くなっても、
    若い世代から障害者は出てきてます。
    この若い世代に自分達が受けた事をしてほしくない。でも自分も医療側や福祉側の意見は聞いてない。
    だったら私たち世代の経験を福祉側、医療側と話したい。
    それによって若い世代が自分達世代とは違った障害者の生き方が模索出来るのじゃないかと期待したい。
    私は私の世代の障害者側の悪い所、はっきり言えば福祉に甘えすぎて、今、自分で考えることすらせずに人に頼り切る体質。自分の今の状況は周りが悪い。
    そういう被害者意識だけ肥大化した体質はもう変わらないと思う。
    だから、この連鎖を断ち切りたい。
    私はこれからの障害者福祉に期待している。現実に事業所の運営も民間が参入したことで大きく変わっている。私はいい事だと思っている。障害者を福祉が守ってあげるのではなく、地域で普通に暮らしていけるサポートをする。
    金銭的な事は実家暮らしなら障害年金がある。
    1人なら生活保護を受給すればいい。すでに行政の支援の基盤は出来ている。
    話はかなり変わりましたが、
    もう障害者の被害者意識を振りかざすのはやめませんか?
    これは振りかざしている方々に言ってます。
    何も生まない。