とにかく仕事したくない社会人が増えてるらしい

こんにちは。所長です。

 

見てはないんだけど、

・残業したくない

・出世したくない

・責任ある仕事したくない

・目立ちたくない

・なるべく仕事したくない

 

という人が

増えているらしいですね。

 

まあ、そりゃそうだと

僕は思います。

 

今の時代は

生まれた瞬間から

あらゆるものが揃っていて

整った環境で

大事に大事に育てられ、

昔のようなパワハラ教育や

暴力教師なんて減っただろうし。

 

そんな環境で育った人は、

これからの人生について、

失っていくものばかりに

感じてしまうのだろう

 

というのは

山田玲司さんが

結構前に言ってて

今の若者ってそうなのか・・・!

って思いました。

 

僕らの時代は、

勝ち組・負け組

という言葉がはやったくらいには

まだまだ競争に勝てば、

何かを手に入れられる時代でした。

 

今の時代というのは、

競争に勝つという事は

人間関係を失ってしまうような

そんなリスクがあるんだと思います。

 

物にあふれ、

人口動態は下がるという

どう考えても不景気になる

時代に突入している雰囲気を

敏感に感じ取った若者は

失う恐怖ばかりなのだろう。

 

しかし、

それはそれ。

と、僕なら思うのだが、

それは育った時代の

違いだろうか。

 

さて、

ここからは

あまり多くの人に見てほしくない

そんな内容なんだけれども、、

 

僕の考えでは、

 

 

ほとんどの人は

何者にもなれず

何も成し遂げず

何も生み出さず

ただ生きて、

ただ死ぬ。

 

その人生に意味を求める他人はおらず、

誰からも何も期待されていない。

 

そんな人生を歩む中で、

自分の人生を、

自分という人間が

そういう人だと、

否応なく自覚した人に対して、

何かを成し遂げた人、

何かを生み出している人、

何者かが何を言っていても、

そんなものは、

当然、聞き入れられないのだろう。

 

僕らの時代というのは、

勝ち組・負け組という言葉が

象徴しているように、

勝てば何者かになれた時代でした。

 

しかし、

今の時代はどうだろうか。

 

何者かになれるとか

何かを成し遂げるとか

何かを生み出せるとか

 

そんな人生は

よっぽど特別な人で、

普通はそうじゃない。

 

それでも

いいじゃないかと。

 

そういう生き方も

いいじゃないかと。

 

そういう時代なんだと思います。

 

 

ワンピースという漫画で、

すっごい序盤で、

立派な船をもらいます。

 

しかし、

冒険の中で人が増えたり

船が傷ついたりして

もうその船では

先には進めなくなります。

 

そこで、

苦渋の決断として、

その船から新しい船に

乗り換える事になりました。

 

これが、

成功するという事です。

 

何者かになるとは、

何かを成し遂げるとは、

何かを生み出すとは、

そういうことの連続だと

僕は思っています。

 

彼女は嘘を愛しすぎている

という少女漫画でも、

仲間で組んだバンドでは

演奏レベルが低いので

実はめっちゃうまい人が

ゴースト奏者として

演奏するという描写があります。

 

仲間でやりたい気持ちと

上のレベルについてこれない仲間を

切り捨てるという選択は

何かを成し遂げるものにとって

必ず迫られる

問いかけになるわけです。

 

仲間といたいのか、

成し遂げたいのか。

 

その二択を迫られるわけです。

 

その中で、

残業をしてまで頑張って

成果を出したところで

何もにもなれずに

何も成し遂げられずに

何も生み出さないのであれば

 

頑張らない。

 

という事自体は、

選択肢として

アリだと思います。

 

慣れ親しんだ船から、

ずっと一緒だった仲間から、

離れてまでも、

何かをつかみたいとは

思わないのでしょう。

 

あるいは、

そのパイが残っていないのでしょう。

 

本当は僕も

こういうことではなくて、

仲間と一緒に乗り越えるべき

って言いたいけど

そういうことが言えないのが

僕なんです。

 

こういう、

あんまり表に出さない方が

良いと思う事でも

ブログは日記なので

書かなきゃいけないなと思います。

 

僕は未熟な人間で

人として成長しなければならない

と、自覚しています。

 

それは、

このブログを読んでいる

あなたもそうではないでしょうか。

 

僕は未熟です。

あなたはどうですか?

 

お互い未熟な人間同士が、

お互いの未熟な部分を

認めながらでないと

僕は一緒には進んで行けない。

そのように思っています。

 

 

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コメント: 1
  • #1

    新井美保子 (火曜日, 22 10月 2024 08:30)

    未熟な部分ですか、、、、。
    もちろん私はあります。
    日々感じているとは言いませんが、
    なんていうか、毎日を過ごす中で自分の未熟さを痛感したり、おっ!うちってやるじゃん!とおもったり。
    未熟な部分に気がついた時、どうしているだろう?
    改めて考えると、結構、口に出して言ってますね。
    なんか、それでいいとしているんですね。具体的にこうなったとかではなく、口に出した事によって動くんです。色んなモノが。抽象的で分かりにくいですね。
    でも常々感じているのは、自分が動くと比喩ではなく空気と一緒に周りが動くんです。行動の事も含まれます。
    いい事もあれば、やっちまったって時もあります。
    でも動いた事に後悔は一切ないんですね。
    きっと動くと意志が働いた時に覚悟と責任を受け入れられているんですね。
    これは、過去からの未熟な部分を口に出してきた事が関係しているのではないかと思ってます。
    では相手が未熟な場合はどうしているだろうか?
    そこは今の課題ですかね。
    もう少し許しの部分が増えてもいいのではないか。
    しかし、あまりの時は口に出して言いたくなる。
    もしかしたら、ここが自分の未熟な部分なのかもしれないですね。
    あと、今58歳ですが、色んな事を忘れる事で楽に生きれてます。
    ぶっちゃけ、次の日には大概のモヤモヤは忘れてます。
    何とも人は変化するものです。