パラダイムシフト

こんにちは。所長です。

 

戸塚ヨットスクールの件です。

詳しくはこちらをどうぞ

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/0df81764995f73d86fd3fd1c30005de9c31c3c52

 

というわけです。

 

戸塚ヨットスクールの方の主張はこうです。

体罰はハードであって

それ自体は善だが

それを行う側の人間、

つまりソフト面のエラーなのだと。

 

もうちょっと

別の例えを出すと、

Winny事件での話でもあったような

たとえ話ですが、

包丁を作った人も

売った人も

包丁そのものは善だが

使い方を間違えると

悪になる

 

ということと

本質は似ていると思います。

 

そして、

ヤフコメでは体罰を

善とするか悪とするかで

結構盛り上がっていますね。

 

リベラルVS保守といった感じです。

 

保守側としては、

行き過ぎたリベラル思想の

割を食っている

 

リベラルとしては、

体罰=悪

 

そんな感じでしょうか。

 

価値観が変わると、

変わった先で

みんながみんな

幸せになれるわけじゃないんだと

僕は思いました。

 

だからこそ、

変わった先で

良くなる人は

それでいいね。

変わった先で

嫌な思いをする人も

まあいるよね

 

でも、

そりゃ仕方ないよね

そうやってみんなで

世の中の価値観や

規範に流されて拘束されて

お利口さんしてなさいよ。

 

僕らはそんなものからは

自由に生きる野良犬として

のんびりさせてもらおうと思います。

 

そうは言っても

これからも

世の中はどんどん良くなって

住み心地が良くなると

思っています。

 

ところが、

そうなるとその反動は

必ずどこかで起こります。

 

怒られずに育った子どもは

自由な発想や

柔軟性を持っていますが、

規律が必要な場面では

パフォーマンスを保てません。

 

若い人たちで、

自分勝手な考えをしているという

自覚がないと言われている人たちは

そう言われていることで

どれだけ損をしているのか

わかっていないのだろう。

 

大人は冷静だから、

いちいち咎めたり、

注意したり、

諭したり、

そんなことを

わざわざしません。

 

あ、ダメだこいつ。

 

と、思った瞬間に、

心のシャッターを

相手にばれないように

そっと閉じて

もう開くことはありません。

 

 

 

理不尽に感じるかもしれませんが

世の中って、

人って、

たぶんそういうものだと思います。

 

体罰という理不尽に耐える人は

社会の理不尽にも耐えられる

 

社会から理不尽を無くない限り、

体罰にも一定の価値があるとする

主張はなくならないと思います。

 

あるいは、

社会とは理不尽なものだが、

そこに唾を吐くことも、

背を向ける事もせず、

その理不尽の中で

生きていくと覚悟を決める事。

 

それが大人になる

ということだと

僕は思っています。

 

体罰への捉え方で

パラダイムシフトが起こっている

と、言うよりも、

理不尽への向き合い方

付き合い方に

パラダイムシフトが

起こっているのだろう

というのが僕が見た感じです