こんにちは。所長です。
まずはこちらをどうぞ
https://news.yahoo.co.jp/articles/06801de63f357cd8167c342d3db5373ac77f792f
というわけで、
どうやら最近の若者というのは
ワークライフバランスだの
自由時間だの
公私を切り替えたいだの
飲み会に残業代はでるかだの
タイトなジーンズにねじ込むだの
そんな話が散見されます。
が、
昭和世代には理解しがたい。
というのが大方の予想です。
で、
記事では金を稼いでもなぁ…
みたいな消極的な発想だと
書いてありましたが
それはちょっと違うんじゃないかな?
と、思います。
ここを見誤ると痛い目見そうなので
整理しておこうと思います。
断言しますが、
今の若者は所得が低くていいとは
思っていません。
それは過去の歴史を見れば明らかです。
まず、
人類は多くの時間を
狩猟民族として過ごしてきました。
どうですか?
今時の若者の話なのに
狩猟民族のはなしかい!
と、思ったことでしょう。
そうです。
ここから始めれば
理解が深まります。
話を戻すと、
狩猟民族時代というのは、
時間はあるけど
物がない。
という時代です。
毎日食事にありつけるわけでもないし
権力も冨も嗜好品なんかもあんまない。
移住しながらその日暮らし
だから、
とにかく物がなくて
時間がありました。
その時代から
我々は最近、
農耕ということを始めてみました。
すると、
主に麦系にはなりますが、
定住という発想がうまれます。
毎年同じ場所で
たくさんの食料が手に入るなら
わざわざ移住しなくていいわけです。
しかし、
定住するとなると、
それなりの家とか水車とかを作り、
獣が来ないように柵を作るなど
とにかく仕事が沢山できます。
麦がたくさん採れるけど
仕事をしなきゃいけない。
その影響で
時間がなくて、
物がありました。
それぞれの時代で、
豊かさの基準が変わりました。
移住していたころは
物があることが豊でしたが、
定住を始めると、
時間があることが豊さになりました。
たとえば、
誰かに麦を育ててもらって、
自分は家でゴロゴロしている王様とかが
それにあたります。
そして、
近代日本はといえば、
戦後、物がない時代から、
高度経済成長期を経て
今では物が大量にあふれています。
となると、
当然、
時間がある人が豊かな人となります。
なので、
昔の若者だった人が求めたような
高学歴で高収入で
家を買って、車は新車で!
みたいな理想というのは
可処分所得に比例した豊かさなわけです。
しかし、
現代の若者というのは、
物があふれているわけですから、
時間こそが至高の贅沢品です。
ワークライフバランスを重視するのは
プライベートの時間を満喫するという
贅沢を享受したいということです。
しかし、
その一方で、
起業したり、
若さに物を言わせて
むちゃくちゃ働く若者もいます。
彼らは仕事をしている時間こそが
贅沢な時間の使い方なのでしょう。
彼らがYouTubeの広告を消すために
毎月お金を払っているのも、
お金よりも大事な時間が
広告によって削られるのが
ストレスになるんです。
我々からすれば
5秒~15秒待てばいいのに
わざわざそんなことに
お金を使うのはもったいないと
感じてしまいますが、
これが価値観の違いとも言えます。
なので、
年収400~500万円もらいながら、
時間をぜいたくに使いたいというのは
高学歴高収入で家を買って
車は新車を乗り回したい!
と、思うのと
価値基準が違うだけで
実は同等ということです。
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