本は本屋さんで買います

こんにちは。所長です。

 

僕は基本的に、

本は本屋さんで買います。

 

というのも、

本屋さんがつぶれるからです。

 

さて、

今日はそもそも本屋さんがつぶれると

何が困るのか?

ということを話していきます。

 

そうはいっても、

今はどんどん本屋さんが

潰れていっています。

 

ネットで本が買えるからでしょうね。

 

それから、

電子書籍もたくさんあるので

わざわざ紙の本を買わなくても

無料でたくさん読めるわけです。

 

ただし、

電子書籍も紙の書籍も

値段はあんまり変わらない事が多いです。

 

 

どう考えても

電子書籍はもっと安くできるのに

あえてそうしていないのです。

 

こういう話をすると、

安くていいものが生き残り

高くて不便なものが姿を消すのが

世の摂理だと思う方もいますが、

もうちょっと奥が深い話です。

 

例えば、

本屋さんと言えば、

ビジネス書・新書、マンガ、図鑑など

数えきれないジャンルがありますが

ビジネス書・新書というジャンルは

その時代を反映している本が多いです。

 

それを追いながら、

紙の本について話そうと思います。

 

発端は、

妻が本を買うって言ってたので

金持ち父さん、貧乏父さんと

チーズはどこへ消えた?

を、勧めました。

 

この2つというのは

バブル崩壊後の日本で

なんとなく幸せになれるとか

頑張れば上昇していける

っていうムードがなくなり、

俺たちは、もうダメかもしれない・・・

そう思っていた中で、

それでも金持ちとか

幸せそうな人がいて、

そいつらの知られざる秘密が

どこかにあるんじゃないか?

なにかるんじゃないか?

と、救いを求めていた時代です。

 

その時に、

本屋で偶然出会うわけです。

自分が今、読むべき聖書に。

 

本屋さんのビジネス書・新書コーナーを

うろうろしている人は

救いを求めているんだと思います。

 

これっていうのは

時代がそうさせていたとしか

言いようがありません。

 

まず、

日本の近代史を紐解くと、

ツァラトゥストラのように

神は死んだ。そして超人へ

というのがベースとして説明できそうです。

 

近代史の最初は

戦争に負けて、天皇がただの人へと

なるところから始まります。

ここで一度、日本人の神は死にました。

 

そしてそれに変わったのは、

政治です。

 

民主主義で日本は立ち直る。

欧米列強に追いつけ追い越せ

だったわけです。

 

だから、高齢者は選挙に行きます。

それを信じているから。

 

ところが政治にも限界があって

国民教育から市民教育への

だんだんと教育が進み、

我々は国とか社会の為じゃなくて

個人の幸せの為に生きるべきじゃないのか?

 

みたいな空気になるわけです。

 

元々は

天皇を中心として

大東亜というアジア圏まで拡がる

豊かさや幸せを求めたのが、

国、社会、政治と小さくなり、

そして企業、個人と、

その単位をどんどん小さくしてきました。

 

そして、

1人1人が豊かさを求めて

経済を発展させてきました。

 

そうなると、

国も政治も神の座から

引きずり降ろされて、

学生運動が起こり、

企業戦士が爆誕しました。

 

年功序列で毎年給料が上がり、

毎年豊かになり、

会社がでかくなり、

生活が豊かになったが、

バブル崩壊ではじけ飛びました。

 

天皇ダメ

国・政治・民主主義ダメ

資本主義・企業もダメ

 

どないすんねん!!!?

 

っていう時代に出たのが、

ビジネス書、

とりわけ新書ブームですね。

金持ち父さん、貧乏父さんや

ユダヤ人の秘密ですね。

 

金持ちには、

豊かな人には、

秘密がある。

 

と、思えたわけです。

 

そこから自己啓発ブームですね。

 

7つの習慣や

夢をかなえるゾウ、

嫌われる勇気、

もしドラへつながるわけです。

 

それはみな、

天皇、国、民主主義、資本主義、会社という

それぞれが信じた神が死んだ世界で

生きるために超人になるべく

手に入れた聖書だったわけです。

 

そして、

それは平積みされていて、

爆売れしている本を見ると

読まないとやばい!

という焦りと共にブームになりました。

 

なので、

自己啓発本ばかり読んでいて

何もしないやつ

安心してるだけのやつは

ダメだ!

みたいなことは

よく言われていました。

 

ただ、

僕からすれば、

先の事や現在の事、

そして夢とか目標に対しての

ギャップを感じられない人は

自己を構造の中に落とし込めず、

客観視することができないから

焦らないんだ

 

むしろ、

自己啓発本すら読んでない方が

ダメだろうと思っていました。

 

そんな自分の焦りや

未知の何かへの

知的な好奇心を満たすものが

本屋さんにはあるわけです。

 

それを無くしてはいけない。

 

電子書籍だと、

もっともっと安くできるみたいですが

それをあえてしていないのは

本屋さんをつぶさない為でも

あるんじゃないか?と思ってます。

 

漫画なんてのはよく分かる例で、

紙の漫画は見開きですが、

電子書籍の漫画、

とりわけ、

最近のやつは縦長です。

 

これはスマホだと

横の見開きが読みにくい事から

縦長になっているわけですが、

全ての漫画が縦長になる未来は

絶対に来ないと思っています。

 

なぜなら、

スマホに最適化されていたとしても

あと何年使うの?

こんな不便なやつを。

 

そもそも、

スマホの歴史なんて

たかが10~20年程度で、

はっきり言って

一過性のブームでしかありません。

 

人類史で観れば

スマホブームは

通過点です。

 

この先は何がくるのか

良そうもできませんが、

通過点に過ぎないスマホに

歴史の長い漫画文化が

迎合する必要はないと思います。

 

さらに、

紙の漫画や本というのは

その手触りが残ります。

 

この手触りがあるというのは

トロッコ問題を見るに、

いかにそれが重要か分かります。

 

そして、

それよりも大きな問題は、

電子書籍が安くなれば、

みんながそっちを買うということです。

 

それは安いから。

 

でも、

紙の本は高いから

一部のマニアか、

金持ちしか買わなくなります。

 

本屋さんに行かずに、

ネットでのみ本を買うとなれば

あなたにおすすめの本しか出てきません。

 

スマホは、

インターネットは、

世界につながっているようで

実はつながっていません。

 

インターネットや

スマホというものは

使えば使うほど、

調べれば調べるほど、

あなたが興味ある事や

関連する情報のみを出してくれます。

 

非常に快適ですが、

多様性はなくなります。

 

例えば、

僕のスマホには

男性用化粧品は出てきません。

 

広告や記事にも

全く出ません。

 

ゲームとサッカーばっかり。

 

そして、

自分が受け取る情報に

かなりの偏りが生じているのに、

それを実感することなく、

生きていくことになります。

 

これはすなわち、

階級化が起こる危険があります。

 

階級化とは

貧富の差が固定化されて

お互いの価値観が

分かり合えない状況を指します。

 

一部の知識階級だけが

紙の本に出会い、

知識が豊かになっていき、

貧民層はなんでわざわざ場所をとるわりに、

不便でお金もかかる

紙の本なんて読んでいるのか

お互いの事がわからなくなります。

 

これが階級化です。

 

金持ちか貧乏か?

そんな単純な話ではありません。

豊さは知識からくるものです。

 

このまま

一般大衆文化が

どんどん失われていくと

お互いの事を

わからないまま

過ごすことになります。

 

相手の立場になって考えることは

僕は不可能だと思います。

 

だけど、

相手の立場の意見に

耳を傾けることは

できるはずです。

 

それがわからなくても、

想いの出どころや

その人なりの理屈というものがあります。

 

それを分かり合うことはできなくても

そういう意見を持った人がいることを

お互いに許容することが

社会として目指すべきだと思います。

 

紙の本というのは

1つのアイコンでしかないけれど、

それでも普遍的な考え方として

自分と違う立場の人には

それなりの理由があって

それを知るという好奇心は

失わない方がいいと思っています。

 

それが

本屋さんにわざわざ出向く理由です。

 

これは大衆文化が残るか否か、

知的好奇心を金持ちだけの文化にしない。

 

そういう話でもあるわけです。

 

このことをネットを使いすぎていると

ついつい見落としてしまいます。

 

それが昨今のレスバブームや

論破ブームにつながってきているんだと思います。

 

そしてそういうのは

我々のようなメインストリームではない人にとって

心地悪く、都合が悪いものです。