府中市役場の方と電話する

こんにちは。所長です。

 

大丈夫です。

また、

誰かと揉めたわけじゃないです。

 

今回は普通に電話するだけです。

揉めてませんし、

怒られることもありません。

 

大丈夫です。

 

というわけで、

今回は府中市の方と

居場所づくりについて

電話でお話しをします。

 

なので、

今日はそもそも居場所ってなんだ?

っていうことを再定義しておきたいなと

そう思っています。

 

居場所と言うと

まず思い浮かぶのは

安心で安全な場所で、

なおかつ自分がいたいと思える場所

 

そんなイメージでしょうか。

 

だけども、

それってなんだか

あんまりしっくりこない。

説明として不十分だなと思います。

 

そんなシェルターのような場所を

我々は求めているのでしょうか?

 

・・・たぶん、

違うわけではないけども、

あくまでそれが土台だなと思います。

 

そもそも、

僕が居場所を作れる人になりたい

と、思ったのは、

僕が孤独で、

居場所がなかったからだと思います。

 

人は10代のころ、

手に入れられなかったことに

一生、執着する。

 

そう言われたことがあって、

まさにそうだなと実感としてあります。

 

なので、

今日は僕の過去を紐解いて

僕が居場所に固執するようになる

過程をざっと書きます。

 

が、

余りにも長い上に

結論は端的です。

 

 

結論として、

居場所とは

必要とされる場所だと

そのように考えています。

 

時間のない方はここまでで大丈夫です。

 

 

 

 

 

さて、

ここからは時間のある方、

興味のある方と一緒に、

僕の過去を紐解いていきましょう。

 

はじまりは父親と母親の離婚があります。

 

母親にべったりで甘ったれの

小学生だった僕は父親と母親の離婚を機に

父子家庭となりました。

 

小学生の僕にとって、

母親が家を出ていくというのは、

捨てられた。

と、感じる出来事でした。

 

たくさんの愛情を注いて出くれた母親は

僕にとって特別だったが、

母親にとっては、

実はそれほどではなかった。

 

という事実を受け入れるのには

相当な時間がかかりました。

 

それを払しょくしてくれたのは

父親でした。

子どもに沢山のお金を使い、

考えられる限りの贅沢を

させてもらいました。

 

毎週焼肉や寿司など外食で、

毎日お小遣いと月間のお小遣い、

さらに当時は珍しく携帯電話やパソコンに

Wi-Fi環境などなど

言い出したらキリがありません。

 

しかし、

ほどなくして

父親は単身赴任で東京へ。

 

それからは、

じいちゃんとばあちゃんの家に預けられました。

 

両親と離れ離れになった孫を

さみしい思いをさせないようにと

頑張るじいちゃんばあちゃんは

孫をこれでもかと言うくらいには

甘やかしてくれました。

 

ところが、

兄は大学進学で家を出ました。

 

それがなんだか悔しくて、

自分だけ取り残されているのが

腹立たしく、

それでいてさみしかったので

僕も進学で大阪へ行くことにしました。

 

大学では就職活動を機に

居場所というものに興味を持ちました。

 

友達が就活鬱になったからです。

 

そんなに仕事って大事なのか?

という疑問と同時に、

はしごを外される人間が

どれだけの孤独を感じているのか

それを解消してくれる人はいないのか?

 

ということを考えるようになり、

そこから、

世の中の人事部の人は

バカで目が無視穴で

どうしようもないやつらばかりだから

僕が人事部の人になって

世の中を変えてやる!

そして就活で上手くいかないけど、

光る原石みたいなやつらを

全員磨いて輝かせてやろう!

 

そのように思いました。

 

そして、

就職先で人事部まで上り詰めて

世の中を変えてやろう!と、

意気込んでいました。

 

が、

結局僕も就職先を1年半ほどで退職しました。

 

その時、

就職先が用意してくれた

北海道の賃貸に

1人で住んでいたので、

退職と同時に退去することになりました。

 

荷物をじいちゃんばあちゃんの家に送り、

何もない家にいると

初めて味わう孤独を感じました。

 

仕事で北海道にいた僕は

友達もいないし、

当時の彼女には振られ、

職場の人にも

同期の仲間だったやつにも

親にさえも、

 

誰にも頼れず、

どこにも居場所がなかった。

 

じいちゃんばあちゃんには

心配させられなくて

弱音を吐けなかった。

 

行きたいところも

行けるところもなく、

居てもいい場所もない。

 

なにより、

自分を必要としてくれる人が

どこにもいない。

そんな言い知れぬ恐怖が

一気に襲ってきました。

 

その時、

始めて僕は、

居場所がないということ、

孤独とは何であるか。

それを知りました。

 

その時の恐怖や

傷ついた心を癒すためには

僕が誰かに必要とされていなければ、

僕が誰かの居場所を作れる人にならなければ、

一生、恐怖にとらわれ、心の傷を背負うことになる。

 

そう思って、

僕は人の居場所を作れる人になろう。

 

そして、

自分が必要とされる人になろう。

 

そのように思いました。

 

それから僕は

人の居場所というものを再定義しました。

 

それは、

「自分が必要とされる場所」としました。

 

 

では、

具体的にそれはどんな場所か?

 

それは職場だと思いました。

 

仕事をしていれば、

寝坊したら怒られます。

上手くいけば認めてもらえる。

 

それは、

その人が必要だからに違いない!

 

というわけで、

僕は居場所を必要としている人、

就職したいけど出来ない人、

そういう人が輝けるように

NPO法人を立ち上げよう!!

そう思うようになりました。

 

そこから逆算して、

人事、採用、教育の仕事をした経験があれば

NPO法人の良い宣伝になると思ったので、

自分のキャリアをデザインし、

転職に転職を重ね、

紆余曲折がありながらも

現在に至ります。

 

なので、

「居場所づくり」というのは

僕が子どもの頃から、

大学、就活、新卒、

そして現在へとつながる

僕の心の渇きを癒すものです。

 

並々ならぬ想いがそこにはあります。

強い覚悟があります。

 

 

もし、

府中市で

あの時の僕と同じように

部屋でうずくまっている

誰かがいるなら

僕に出来る事があると思います。

 

必要なら府中市まで行きます。

 

 

その誰か、

たった1人の為に

僕のこれまでがあったと言っても

過言ではありません。

 

その誰かが僕なんです。

コメントをお書きください

コメント: 3
  • #1

    夢見者 (水曜日, 29 5月 2024 22:18)

    “居場所”って大事ですよね。
    場所といってもただの空間では駄目なわけで・・
    私にとってそれは「バクの家」でしたね。
    生まれて初めて居心地がいい、楽しいと心底思えた場・・
    東作業所と統合して法人化されて建物もトイレも綺麗になったのに、
    明らかに“居場所”ではなくなった・・・
    これではだめだと思いたち当事者活動始めて20年近く経過。
    所長さんのように合理的な計画を立てる能もなく、衝動だけで
    突き進んだのがまずかったのか3年前にドロップアウト。
    そろそろ再始動しなよとたかお氏にせっつかれるも、
    何をすればよいやら・・

  • #2

    ds (木曜日, 30 5月 2024 00:31)

    今風のきれいな洗練された無機質な施設より、スマイルのような昔ながらの古民家のほうが自分は好きです。
    虫の大量発生や雨の日、水たまり(泥んこスマイル?)ができるのもいい。
    昔ながらの古民家カフェが流行っているのは機能的な価値より、居場所的な価値を求めているのだと思います。

    wifiは出た当時、無線LANと言われていてかなり高価だったような。
    ここ数十年の通信環境、コンピュータの性能向上は著しい。

  • #3

    ニャンちゅう (木曜日, 30 5月 2024 14:10)

    居場所って自分にとっていい場所も悪い場所もあり。
    どこにも所属しない孤独もいいけど、自分を肯定してくれる居場所ほどありがたいものはないですよね。
    そのためにはお互いに尊重し合う意識が大事だなと思います。