こんにちは。所長です。
最近、掃除について
議論が白熱しています。
いや、
最近じゃないか。
ずっと前からしています。
掃除は必ずすべきという人と
やりたい人がすべきという人もいます。
不人気の掃除場所は
トイレです。
大変なうえに不衛生
冬は寒いのに雑巾絞りもあります。
バケツと雑巾が外に干してあるので
雨の日は最悪です。
こういった
他の人がやりたがらない事を
積極的にする人は
必ずすべきというし、
そういうことを
絶対にやらない人に限って
掃除はやりたい人がやればいい
自主性を尊重すべき。
ということを言います。
そして、
〇〇さんが掃除やってないよ?
などと
いちいち報告していきます。
だったらあんたが代わりにやれば?
というのが
職員からの解答になるのだが、
そうなると、
なんで自分がしなくちゃいけないだ!
と、憤慨されます。
しかし、
それは一つの側面でしかなった。
掃除を積極的にする人と
そうでない人の差は
短絡的に見ると責任感ですが、
もう少し慎重に様子を伺うと
違って見えてきました。
掃除をするという行為は
汚れた場所を綺麗にする
というのが普通ですが、
スマイルの利用者にとって
それ以上の意味があるんだと思います。
まず、
責任感をもって
きちんとやるべきだと思っている人は
掃除というのをスマイル中山という
コミュニティに参加する為の
最低限度のドレスコードのように
捉えているんだと思います。
健全なコミュニティ運営をするために
みんなが少しずつ力を出し合うということ、
客ではなく、利用者である
そういったことを体現しています。
また、
そういった人たちは強い人です。
僕は強者と弱者の境は
力や能力、資産ではなく、
やるべきこと、
成すべきことを
見つけられたか否かによって
決定されるものだと思います。
スマイル中山に
所属する以上は、
掃除はきちんと「すべき」
ということを感じている人は
強者なんです。
しかし、
その逆の場合、
まだそれを成すべきだと
思っていないのであれば、
弱者になります。
強者は自分が成すべきことを
きちんとやるだけですが、
弱者の場合、
することがないし、
コミュニティから
除外される恐怖に常にさらされています。
そんな弱者が行えて、
なおかつ、
人に影響を与えられるのが
文句を言うということ。
文句を言って、
強者に動いてもらう。
他にありません。
嘘だと思うなら、
被災地ボランティアに行ってみて下さい。
被災して、
家がなくなった子が
みんなの為に
配給のお弁当を笑顔で配っています。
みんなに笑顔を届けたい。
届けるのが自分の役目だ!
そう思った子は強いです。
しかし、
それを受け取った人の中には、
お弁当が少ないだとか
被災のダメージ(経済、肉体、精神的)が
少ない人は楽しそうでいいよな!
と、文句や嫌味を言います。
本心ではありません。
それを言うしかないんです。
やるべきことも
成すべきことも
まだ見つかっていないが
現状に満足がいっていない。
強者なら行動できますが、
弱者なら文句を言うしかない。
それがスマイルの掃除でも、
同じことが起こっているのだと思います。
掃除について、
あれをしなさいこれをしなさいと
言われている間は
非常に面倒で腹が立ちます。
しかし、
掃除を続けていると
自分がコミュニティに参加しているという
実感が湧いてきて、
責任感や帰属意識が生まれます。
そうして、
掃除をすることでコミュニティとつながり
コミュニティが維持されると、
今度は、
誰かがやっていないと、
コミュニティが壊れるのを恐れて
〇〇さんがやってない!
と、攻撃するのです。
これは世の中の仕事にも
通じるものがあると思っています。
当事者と話をしていると、
仕事=社会的な責任
そのようにとらえている人が多いと思います。
果たすべきことを、
成すべきことを、
やるべきことをやる
そんな場所で、
さらに自分が必要とされていて、
それでいて、
居心地がいい場所
それを居場所だと思います。
今まで
なんとなく言語化できていなかったですが、
掃除はこれからも全員に
やってもらいます。
理由は、
あなたが来たら
あなたが掃除をする。
そうすることで、
あながたスマイル中山の
みんなから必要とされる人になるから。
それが居場所なわけです。
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