物が余り時間が足りないのか、時間が余って物が足りないのか

こんにちは。所長です。

 

すでにお気づきの方も

いらっしゃると思います。

 

そうです。

私、この年末年始で

iPhoneを7から12にしました。

 

新しいやつに

変えたかったというよりも

前のやつがOSのアップデートが

できなくなってしまい、

ChatGPTなどの

アプリがダウンロード・更新が

出来なくなるので

ここはもう引き際だと

そういう思いで変更しました。

 

すると、

明らかにスマホを

触る時間が増えました。

 

いろんな設定とか

アプリのこととか

周辺機器を調べたりとか

そんなこんなで

どんどん時間が足りなくない。

 

物が充実すると

時間が足りなくなり、

 

時間が充実すると

物が足りなくなる。

 

というのは

いつの世も人々の悩みの種ですね。

 

狩猟民族時代はというと、

物はぜんぜん足りておらず

なんなら定期的に

移住をしていました。

 

なので、

むしろ少ないぐらいで

よかったのかもしれません。

 

それから、

農耕が始まると

稲や土地、家族に固定の家など

たくさんのものが手に入りました。

 

ところが、

そこから年貢を納めるだとか

近所付き合いとか

仕事での上司や部下、チームへの時間など

どんどん時間がなくなってしまいました。

 

そうして人々は

何に価値を感じるのかが

変化していきました。

 

ここの価値観の違いというのは

実は現代でも割とあって

いやむしろ、

個人化された社会であれば

なおさら違いはあると思います。

 

例えば、

テレビを持っている家では

テレビを見る時間があります。

それは1日数時間だと思いますが、

テレビがない家では

0時間です。

 

このテレビがない家というのは、

テレビがある家に比べて

テレビを見ないので

その分、時間があります。

 

物を減らせば

時間ができる

 

そういう単純な構図で

僕はいいと思っています。

 

最近はやっている

ミニマリストというのも

現代日本は

物が余っているので

時間がない。

 

そこで、

自分の人生を豊かにする

時間を確保したければ

物を減らす。

 

ということなのでしょう。

 

そして、

被災地におりづるを

送りつけるバカがいますが、

それらも同様に、

物が余っているから

自分たちにとって貴重な

時間を使って、

おりづるをせっせと折るわけです。

 

なので、

そこに価値を感じてしまう。

 

しかし、

被災地では

物がなくて困っているので、

物が欲しいんです。

 

時間はありますが、

復興への外野の想いなんて

受け止められる

余裕なんてあるはずもない。

 

なので、

おりづるほど価値のないものは

なかなか見つからないと

言ってもいいぐらいには

価値がありません。

 

それらの復興への想い(笑)を

抱いておりづるを送りつける行為を

ただのバカだと論じるのは

少々、乱暴だと思うので

ちょっとだけ丁寧に

お話しをしてみました。

 

あくまで、

価値観の違いです。

 

おりづるを折って

復興への想いを馳せるのは

悪い事ではないと思いますが、

それをおくりつけた瞬間、

害悪になるわけです。

 

いや、、

もしも、

もしもあなたが、

災害によって

家を失って

命からがら逃げた先で、

この極寒の中で、

毛布よりもおりづるだ!と、

水よりもおりづるだ!と、

隣で泣いている赤ちゃんの

ために赤ちゃん用のミルクよりも

おりづるなんだ!!!

 

そう、思うのなら

おくりつければいいと思います。

 

相手ではなくて

自分の為におくりつければ

いいと思います。

 

 

ちなみに、

毎年のように

おりづるを解体する

内職がいろんなところから

紹介されています。

 

おりづるというのは

解体すれば

ただの紙です。

 

それを再利用しようというのが

その内職になります。

 

どこからお金が

出ているのでしょうか?

 

解体するのにも

運ぶのにも

再利用するのにも

それぞれお金がかかります。

 

そのお金って

誰が払っているのでしょうか?

 

いや、そもそも

なぜ解体する必要があるのでしょうか?

 

まあそういうことです。