IQ120以上のギフテッド~天才の受難

こんにちは。所長です。

 

IQ120以上だと

現代では生きづらいそうです。

 

というのも、

どうやらIQが20離れると

会話が成立しないからだそうです。

 

例えば、

A君「B君、眼鏡変えた?」

B君「そう。ブルーライトカットにした」

A君「へー、親父さん元気にしてんの?」

B君「全然。ありがと」

 

C君「なにいってんだ?こいつら…??」

 

という感じの会話です。

 

この場合、

A君とB君は同じくらいのIQで

C君だけが低い場合は

このようになってしまいます。

 

これがA君にとって

B君がいた事はよかったんですが

B君がいなかった場合は

C君と同じように孤独を感じます。

 

特に、

IQ120以上というのは

クラスに1~2人しか

いない計算になるので

集団の中で孤独を感じやすいでしょう。

 

そこで、

ギフテッド向けの教育について

アメリカが進んでいて

日本もどんどん力を入れるそうです。

 

 

しかし、

みんなが右を向いていると

左を向きたくなるので

ギフテッド教育について

僕が嫌なことを言ってみようと

そういう思いです。

 

 

まず、

そもそも、

IQが120程度だから困るんだと

僕は思います。

 

本当に賢いのであれば、

他の人とのIQの差、

物事への理解速度、

他人の物事の習熟速度の差は

見極められるので

適時ヒントを出したりしながら

会話というものは成立させられます。

 

それだけの事が出来ないのに

天才と呼ぶのは

あまりにも

天才を安売りしていると感じます。

 

例に挙げた

A君とB君の会話についても

C君が同席している場合に限れば

以下の通りにできるはずです。

 

A君「B君眼鏡変えた?」

B君「そう。この前変えたばっかり」

A君「そういえば、前のやつも変えたばっかだね。」

B君「今回は、ブルーライトカットにした 」

A君「へー。なんでブルーライトカットにしたの?目の健康気遣ってる?」

B君「まあ、そう」

A君「まだキミは若いのにどうしたんだよ急に。」

B君「実は親父が白内障で自分も気になるし、母親が僕を心配するっていうのもある」

A君「あー、男って親父からの遺伝が多いから、親が白内障なら自分も?って気になったんだね。それでキミも気遣ってブルーライトカット眼鏡にしたんだ。」

B君「ん-、まあ、そう」

A君「なるほどね!そしたらお母さんもキミへの心配が減っていいね」

B君「そうだね。そこが一番気になってた。眼鏡をブルーライトカットにしたいって言ったらすぐにしようってさ」

A君「なるほどね。家族思いだもんな!」

B君「まあね。気にかけてくれてありがと」

 

C君「結局、一言もしゃべってないぞ俺。」

 

この会話は

B君の父親が若くして白内障で、

遺伝的にB君も白内障になるのでは?

と、心配した母親を

安心させる為だけに

ブルーライトカット眼鏡にした。

なぜならブルーライトカット眼鏡というのは

ほとんどがプラシーボ効果だからであって

わざわざB君ほどの博学者が

お金を払ってまで

つけるようなものではない。

ということです。 

 

IQが高い人同士というのは、

会話をする前提条件となる

事前情報の数が平均的な人よりも多く、

相手の言葉や仕種の背景にあるものを

構造的に理解するのが早く、

それらの情報が応用に応用を

重ねているので、

普通の会話のキャッチボールの

半分以下で終わります。

 

で、

こんな会話が成立するのは

クラスで1~2人同士なので

大変だということです。

 

 

ギフテッドが話すときは、

言葉足らずで

ギフテッドが聴くときは、

最後まで聴けない。

 

こうなってしまうそうです。

 

で、まあ

それぞれの才能をちゃんと活かそう

ということで

ギフテッド教育に力を入れると

そういうことらしい。

 

が、

僕はみんなが期待しているような

効果あるの?って思っていたりします。

 

なぜなら、

そもそも天才の出現率が

クラスに1~2人って

多すぎない?

 

その程度の才能というのは

力を入れて支援するほど

社会に役に立つのか疑問です。

 

次に、

IQというのは

結局のところ、

同世代の人と比べてどうか?

 

という程度の物なので、

高IQの子どもが大人同等に

会話や能力で競えても、

天才だー!!ってなったとしても、

そのまま大人になってしまえば、

その辺の大人程度です。

 

二十歳をすぎればただの人。

 

そう呼ばれた元天才児を

嫌というほど観てきた僕は

あまり良い気がしない。

 

もてはやす人たちは

新しい才能に心躍るが、

その子が二十歳を過ぎた後までは

考えていないだろう。

 

天才児がその才能をつぶされないで

能力を開発できる場所という

考え自体は素晴らしいが、

その先の人生には90%以上の人が

自分と同程度の会話が成立しない世界で

生きていく必要があります。

 

ギフテッド教育を施された後、

社会に放り投げるのだろうか?

 

水が少ない環境の方が

甘く育つ野菜があります。

 

ギフテッドを

支援をしている人は

その点の視座をもっていてほしいと

僕は思います。

 

ちなみに、

最初のIQが20離れると

会話が成立しないというのは

一方が猛スピードで走っているだけで

相手に合わせることが出来ない程度の

才能だということです。

 

それって凡人に毛がはえたようなものだと

僕は思ってしまいます。