アマデウス

こんにちは。所長です。

 

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトを

ご存じでしょうか。

 

僕は名前がカッコいいので

覚えています。

 

言わずと知れた天才ですが、

彼が天才であるという事実しか

僕たちには知りえません。

 

唯一、

彼が天才だということを

知っていた。

わかっていた

悲運の天才がいます。

 

それがアントニオ・サリエリという

同時期に活躍した音楽家です。

 

非常にまじめな

カトリックであったが、

まじめが故に、

そして天才モーツァルトが

天才だということが分かる程度の

才能を持ち合わせてしまったが故に

苦悩の人生を歩んだ男です。

 

この時代の人々にとって、

神に仕える音楽家の仕事は

とても名誉のある事で、

しかも才能があるということは

神から与えられた特別なGIFTがあるということ。

それだけ神に愛されているという

これ以上ない誉れなんです。

 

その才能がサリエリにはあって、

時の権力者である

ヨーゼフ2世からの寵愛を受けていました。

 

が、

彼よりも格下には

なんとモーツァルトがいました。

 

あのモーツァルトよりも

格上だったんです。

 

しかし、

モーツァルトがいかに

才能豊かであるか。

ということは、

凡人にはわかりません。

 

ところが、

不幸にも、

サリエリはモーツアルトの才能を

唯一、理解できてしまったのです。

 

序列を作った凡夫には

モーツァルトがいかにすごいか

理解できていなかったのです。

 

サリエリにとって 

自分よりも格下の男が

自分よりも才能がある

(=自分よりも神の寵愛を受けている)

そのことを周りの才能がない人たちは

誰一人気づいていない。

自分だけが気づいてしまっている。

 

これがいかにみじめであるか。

 

その悲運とモーツアルトの才能が

遺憾なく発揮された

2人の物語が

戯曲アマデウスです。

 

特にモーツアルトの才能が

描かれているシーンでは、

彼の作曲中の楽譜を

こっそり盗み見たサリエリが

一度も書き損じていない事に

驚愕する描写があります。

 

普通、作曲するときは

何度も書き直したり

書き足したりするものですが

それが全くない。

 

神のメロディーを

ただ書き写すだけ。

それだけのこと。

 

天才にとって作曲とは

そのくらいのことだったのでしょう。

 

サリエリほどの才能を

持ち合わせていない僕は

ただただ彼の音楽を

楽しむことしかできません。

 

戯曲では、

交響曲第25番ト短調の第一楽章からはじまります。

 

モーツァルトにしては珍しいト短調

(彼は2つしか作曲していない)ですが

もっとも有名な曲の一つとして数えられます。

 

天才であり、

己の才能を疑いようもない天才でありながら

彼にも絶望や苦難がありました。

 

それを音楽芸術として

表現したものがこの

交響曲第25番ト長調であり、

同じく絶望と苦難の人生を歩んだ

サリエリを主役として戯曲の

冒頭にもってくるというのは

いささかいたずらがすぎると

そう思いませんか?

 

ちなみに、

彼がこの曲を作曲したとき、

まだ17歳でした。

 

ここで、

な〇でも鑑定団みたいに

あらためて依頼品を見てみよう!

ならぬ、

あらためて

交響曲第25ト長調を聴いてみましょう。

 

いつもと違った風に聴こえます。

これが音楽の楽しみ方だと思っています。

 

僕はこの交響曲を聴くと、

誰もがうらやむ天才には

その器に沿った形の、サイズの

絶望と苦難があるんだと思います。

 

なので、

僕には僕に合うサイズの

絶望と苦難があり、

その葛藤はモーツァルトよりも小さいが

僕にとっての交響曲第25ト長調なんだと

そのように思います。

 

で、

あらためて、

みなさんもそのような気持ちで

聴いてみて下さい。

 

また変わったでしょう?

 

ちなみに僕は

こういった知識ありきで

クラシック音楽に

触れていることよりも

その体験よりも、

それに触れながら

聞いている自分が

好きです。笑

 

メリークリスマス!