こんにちは。所長です。
僕は割と自己肯定感が高い方です。
高いと言っても、
今まで出会った人で
僕よりも高い人は
2人ぐらいしかいない。
その程度です。
なので、
そんな僕が自己肯定感が高い人の
特長を語るのは
少しだけ恐縮しますが
話しておこうと思います。
恐縮する理由は
自己肯定感が高い人の
モデルが僕自身だからであって
参考になればと思います。
まず、
自己肯定感が高い
というのはどういったことか。
これを分解して
整理したいと思います。
すると、
自己と肯定と感によって
構成されることがわかります。
次にこの構成を
逆にしてみると、
他己否定客観的事実
となります。
つまり、
他人が、客観的な事実を元に、否定する。
ということで、
客観的な事実や比較を用いて、
否定的な事をする、言う。
ということですね。
このことからわかるように、
自己肯定感というものは、
主観的に感覚で良いと思う。
ということだと思います。
ここでは、
自己肯定感が高いとは、
自己評価が高いことと、
似て非なる事だということを
まずは抑えておきたいです。
さて、
自己肯定感という言葉の
概要をつかんだところで
その特徴について
話したいと思います。
自己肯定感が高い人は
自己評価が低い人
という特徴があると思います。
例えば、
テストで20点だった場合、
自己評価が普通くらいの人は
すごくショックを受けるでしょう。
しかし、
僕は自己評価が低いので、
20点をとったらガッツポーズ!
むしろ、
親からカンニングを疑われるレベル。
同じ20点でも、
ショックを受ける人もいれば、
めちゃくちゃ喜ぶ人もいる。
その差は、
自己評価が
高いのか低いのか。
その違いです。
そして、
ショックを受けた人は
自己肯定感が下がるでしょう。
ところが、
20点しかとれてないくせに
大喜びしている僕は
めちゃくちゃ自己肯定感が上がります。
これが自己肯定感が高い人の
正体であるように思います。
自分の事をダメなやつだと
思っているのは自己肯定感が低い。
だけど、
自己評価は高いんです。
20点しか取れないのに、
50点も60点も取れると思っている。
という、
理想と現実のギャップの差が
悪い意味で大きいと
自己肯定感が低いんです。
僕はまさか20点も取れるだなんて
夢にも思ってないわけですから、
良い意味でギャップが大きくなり
自己肯定感が高まります。
若い子で自己肯定感が低いというのは
おおむねこれで説明ができます。
世界の広さと
己の小ささを
理解していない
しかし、
ある程度の年齢になっても
自己肯定感が低いというのは
もう少し複雑で、
前者の理由で若い時期を過ごし、
さらに自己理解を進めないままに
ある程度の年齢になったか。
あるいは、
己に課しているものが高すぎて
それを下すことができない。
それを下すことというのは、
ダメな自分を許してあげられない、
癒してあげられない、
という問題かもしれません。
それは結局のところ、
自分というものを
高く見積もっているので
自分はこんなはずじゃない。
こんなもんじゃない。
という劣等感になり、
さらに、
自己肯定感が低い
というのが追加で
劣等感になってしまうのです。
そうでなければ、
自己肯定感が低いだけなら、
自己評価が高いんでしょ?
で、終わる話で、
自己肯定感が低いことへの
問題意識は劣等感を覚える点だと
僕は思います。
なので、
自己肯定感が低い
ということは、
自己肯定感が低いことによる
劣等感を覚えるということで、
それはつまり、
プライドが高い自分を
許容してあげることで
整理がつくと思います。
なので、
自分という人間を
見限ることができない。
安く見積もることができない。
もしかしたら、
表面上では自分の事を
悪く言っていたとしても、
本心では自分のことを
誰よりも信じているのです。
結果が伴わないだけで。
なので、
自己肯定感が低い人が
自己肯定感をあげるためには
自己評価を下げるだけでいいのに
出来ないんです。
感情面の話なので、
簡単には割り切れないと思いますが、
自己評価を下げるか、
自己肯定感を下げるか、
どちらかだと思います。
ちなみに、
僕は自己評価が
めっちゃ低いです。
なぜなら、
自己評価というものは
いくら高くても
役にも立たない。
だけど、
自己肯定感が高いと
生きやすいからです。
それでも、
そんなこと言われても
って思う人も多いと思います。
そういう人は、
自分を許すルールをつくりましょう。
まずは、
前日に立てた予定通りに出来たらOK!
例えば、事業所に通所出来たらOKとして、
着いてすぐ帰っても、
目標は達せられたんだからよしとしましょう。
次に、
自分を許せないものは許せない。
として、
許せない自分を許しましょう。
ただし、
24時間それをやってるとしんどいので、
許さない自分を許す時間を
決めちゃいましょう。
夜19時~20時とか。
その間だけは
自分のことを許さなくても
良しとしましょう。
その時間は1時間しかないです。
大事に使って下さい。
1日あったことを思い出して、
許さないということをしましょう。
それだけでだいぶ変わります。
僕が言うのだから
間違いないと思いますよ?
コメントをお書きください
新井美保子 (金曜日, 15 12月 2023 01:49)
私は自己肯定感を高くありたいと思いたく、しかし自己評価は高いと自覚してます。
だから、必死になって色んな事をクリアしようとします。
それはもしかして、自己肯定感が低いのに認められず、こんな自分じゃないはずと、例えるなら、ハムスターが車を延々回している状態です。
だから、疲れます。
あと私は姉妹からの評価をとても気にします。
基本、うちの家族は生活保護を受けて生きる事に批判的です。
そんな家族に自分はちゃんとやっていると、認められたくて、頑張ります。でもそれは、ハムスターの車だから疲れるし、人の思想なんて変わりません。
頑張っているつもりもあちらにはまだまだ甘えて生きていると思っているから、それを言葉にして投げかけられると、劣等感になります。まだ足りない!まだ足りない!と足掻くんですね。家族と自分は独立した人間同士ですから、相手に認められなくても良いはずです。
実際元気な時はその気持ちが強く、認められなくてもいいや!と生きていけますが、今回の病気の時に今の自分じゃ駄目だよ。自分を変えないと。生活を立て直さないと口を突っ込んでくると、腹が立ちます。腹を立てて意思表示すれば、逆ギレされ、キツイ言葉が返ってきます。
そこに自分評価が高いから、やはりまだまだ足りないかとなり自己肯定感が低くなります。
家族のせいではありません。
若い頃精神の病になった時の体験もありますし。まだ病院に閉じこめておけ!という時代でしたから。
何が言いたいんでしょう?私は。
要は愚痴ですが、自分の正しさを人に押し付ける家族に対して、今腹を立てているという、愚痴ですね。
私は楽に生きたいと思っています。
それにはハムスターの車を止めて、自己評価を高く持ち、これだけ出来たんだからすごい!となる事です。そしたら自己肯定感が高くなり、家族の口挟みも、どこ吹く風でやり過ごせます。それで今回の病気は良い機会かもしれません。
時間的にもうハムスターの車が出来なくなるからです。
変われるといいな。
新井美保子 (金曜日, 15 12月 2023 07:54)
間違えてますね。
ハムスターの車を止めて、自己評価を低く持つ、一つ出来たらいいじゃないか!
そこから自己肯定感高い人間
変われるという事ですね。
私は家族の事を散々、自分達の正しさを押し付けると書きましたが、私も人にしていますね。
いま、自分の事を振り返る時期なんでしょうね。
強いって何なんだろう?
弱いって?強さ弱さに良い悪いは無いはず。勘違いを自分はしていないか?
考える事は嫌じゃないですし、今はいい機会です。
所長 (金曜日, 15 12月 2023 07:58)
おっしゃる通りで、資本主義社会で頑張って出世して、お金稼いで…っていういわゆる20世紀的な生き方をラットレースと呼びます。
これはハムスターが無心になって歯車の中を走っている様子からくる皮肉だそうです。
そこから脱却して、ダメな自分を受け入れる。本当の自分と出会う場所が野良犬喫茶だと僕は思っています。
僕自身もラットレースで死ぬほど頑張って、倒れるまで頑張って、
ここにたどり着いた一人ですから。
それから愚痴は言ってもいいと思います。
ただし、時間を決めるのが良いと思います。
新井美保子 (金曜日, 15 12月 2023 08:20)
時間を決めるが大事ですね。
でないと、ただ拗ねてる子供です。
自分の中の野良犬喫茶の存在も
大事です。
何より楽しい。やりがいがある。何かを作る、生み出す、考える、全てが楽しいです。
もちろん野菜作りもです。
山歩きも。また、出来る日を楽しみにしてます。